「私、また自分の子どもに対して、コーチで居られなかった・・・」
「ついつい、部下のダメなところを指摘してしまうんです。コーチングを勉強しているのに・・・」
「コーチなのに、両親を見ていると、いらいらしちゃうんです。」
時々、後輩コーチや仲間から、
こんな話を聞きます。
それについて、前の2つの記事も受け、
もう少し補足したいことがあります。
(前の2つの記事は、こちら
・「コーチに傷つけられた、あなたへ」
・「コーチの正解に導くということ」)
親として、子どもとして、上司として、仲間として・・・
コーチ/クライアントとは、違う関係性のなかで、
コーチでいることと、どう両立すをするのかなってことについて。
これについて、僕の考えは、
僕は、
上司の仕事は上司であること
母の仕事は母であること
子どもの仕事は、子どもであること
だと思っています。
必ずしも、コーチであるってことじゃない。
じゃあ、コーチで居るって、どういうことでしょうか?
まず最初に、コーチとしているってのは、
聖人君子になることでは、ないと思います。
だって人間だもん、
いいところもダメなところもある人間だもん。
(ちなみに僕は・・・意地悪なところも、ひねくれたところもいっぱい持った人間で、
仲間として、先輩として関わった若者達に、
しょうわるギツネ(性悪狐)と命名されたことがあります。笑)
自分ではない「素晴らしい別人」になろうとしても、
それは無理。
たぶんコーチで居るって言うのは、
クライアントさんが考えて、取り組んで、向き合って、
一歩進んでいくための・・・・
そして、クライアントさんを起点として、幸せの総量が増えていくための、
空間と時間を提供すること。
そのために、
自分の中にある、
自分のいいところを使うこと。
自分の中にすでにある、
愛や知恵や、勇気や情熱ややさしさにあふれた、
そんな自分自身にアクセスし、
そんな自分で、相手と関わること。
(そして適切に技術を使うこと)
それも、自分の持っている何かを渡すというよりも、
クライアントさんが、自分で考え、向き合い、取り組むための、
時間と場所を提供するという形で。
それ以外の自分や、
それ以外のサポートの仕方は、
スパイスとして使ったり、ブレストのネタとして提供するのはありとして、
基本的には脇に置く。
そして、目の前のクライアントさんが、
もっともスムーズに、
その人らしい答えを出せるように、、
反応を、意図的にしていきます。
暖かくも、実は、一歩引いた、役割です。
そして、自分の一部をわきにおくことは、
時にはちょっと難しいことです。
でも、プロコーチとしては、当たり前。
そういう契約・約束を、クライアントさんと交わしていますから。
タクシーが、事故を起こさずに、お客さんを連れて行くこと、
レストランが、食中毒を起こさずに、注文された料理を出すことと、
同じです。
もはや言葉で確認するまでもないかもしれない、
プロとして、当たり前のこと。
でもそれができるのは、24時間じゃなくて、
やっぱり、区切られた時間の中の、
意図的で、特殊なコミュニケーションだから。
やさしいところも、残酷なところも、賢いところも、愚かなところも、
いいところ、わるいところ、どっちでもないところ・・・
全部あるのが人間だから。
(ホテルのすばらしいスタッフが、家でも常にすばらしいサービスをしてるかといえば・・・
多分そうじゃないよねというのと一緒。
そんなことしてたら、多分本人もきついというのと一緒)
そして・・・
コーチであることは、あなたのすべてではない。
それに、あなたのすばらしいところを出す手段が、
コーチングだけってこともない。
コーチング以外の方法でも、あなたのいいところを、出すことができる。
そもそも、いつだって、いいところを出さなきゃいけないわけじゃない。
お互い、いいところも、ダメところもある、人間なんだから。
(それに、多くて週1回ぐらい、契約も長くても1年というコーチングとは、
親や上司として 関わる時間や期間は、はるかに長いはず。
一緒にできるはずがない)
お母さんであるあなた、上司であるなた、子どもであるあなたは、
コーチである以前に、
その子の母であり、その部下の上司であり、その両親の子どもなんです。
その場合、コーチングスキルは、
ある意味では、料理がうまいとか運転ができるとか、
ファッションセンスがいいとか掃除がすきとか、
営業が上手とか、絵がうまいとか、
引き算の説明が上手とか
「ないよりはあったら嬉しいスキル・能力」でしかない。
(プロコーチってのは、そういう能力を、高い水準まで高めたから、
商売になっているはずだし、
対価を得る以上、それに見合う腕を持っているべき、というだけで。)
もちろん、コーチング的にかかわれることは、
とても役に立つことだと思うけど、
あなたはまず、親であり、上司であり、子であったりする。
それは、職能としてのコーチよりも、
より幅の広いあり方かもしれません。
料理が下手だけど、
一生懸命子どもの幸せと健康を祈って作る親
料理が上手だけど、
まったく子どもに無関心な親。
子どもは、どっちの料理を食べたいでしょうか?
僕なら、
下手でも、僕のことを思ってくれる親の元に居たほうが、
ちょっと幸せに生きられそうです。
時には怒鳴りつけられるけど、
自分のことを心から思ってくれる上司。
いろんなコーチング理論とスキルは知っているけど、
なんか愛のない上司。
僕なら、多少恐くても、
僕のために胸を痛めてくれる上司の元で働きたい。
だから、親や子や上司として
コーチであろうとすることが、
あなたらしくいることの邪魔になるのなら、
コーチで居ることよりも、
親や子や上司として、そこにいてほしい。
時には、上手に関われなくていい。
感情的になっていい。
私メッセージじゃなくていい。
怒鳴ってもいい。
責めてもいい。
押し付けたっていい。
だってあなたは、コーチである前に、
親であり、子であり、上司なんだから。
だから、まずはあなたらしく生きること、
あなたらしくあること、
どんな形であれ、どれだけ不器用でも、
愛を表現することを、優先してほしい。
冷静になれなくていい、
思い入れが強すぎていい。
仕方ない。
だって、それが、その関係での、愛しかたなわけだから。
そして、あなたがどれだけ不器用でも、
あなたがあなたで居る限り、
子どもや部下や親に、
美しいところも、醜いところも、どちらもある、
一人として関わっている限り、
あなたの気持ちは、そのひとに、届いているから。
もしかしたら、それこそが、
親としてのコーチ的な関わり、
上司としてのコーチ的な関わり、
だったりするのかも知れません。
あなたには、あなたでいてほしい。
まずはそれから、はじめてほしい。
この話は、
生まれたばかりの子どもをいつくしむ、
素敵な夫婦とお茶をして、
そしてそのあと、僕のお話会に来てくれた、
素敵な方々との対話から、
ふっと生まれてきた言葉。
自分の、いいところを引き出してくれるのは、
幸せな人の姿や
貢献したい他者や、
担いたい役割なんだなぁと。
親であり、子であり、兄であり、姉であり、
妹であり、弟であり、上司であり、部下であり、
同僚であり、先輩であり、後輩であり、
チームメイトであり、先生であり、
もしかしたらコーチであり、クライアントであり・・・・
さまざまな顔をもちながら、
あなた自身のために、
大切な人たちのために、
そして、この世界の誰かのために、
時に頑張り、時に手を抜き、
時に胸を痛めながら、
生きている、あなたへ、
あなたを、応援しています。
あなたは、あなたでいるということで、
あなたのような人がいるということで、
あなたが思う以上に多くの人を、幸せにしているかもしれません。
ともに、進みましょう。