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コーチを迷子にさせないために

出発点は、私自身の悩みでした。

私のセミナーに来てくれた人が、コーチングできるようにならなかったんです。端的にいえば、コーチングではなく、中途半端コンサルティングやメンタリング(そしてアドバイスや叱咤激励)になってしまう。コンサルティングやメンタリングが悪いのではなくて、この、中途半端っていうのがむしろ危ないと思っていました。

(その結果、理論とプロダクトも作っちゃいました。詳しくはこちら

目次

なぜか、コーチングできない!

たとえば、こんな感じ。


2日間のコーチングセミナを開催。プログラムだったり、その中でいろんなワークをし、理論を伝え、一緒に練習しながら、信頼して、一緒に探求していくことのパワフルさと重要さを共有していきます。

すると参加者さんからも

「クライアントさん自身の中に答えがあるんですね!」

「コーチのアドバイスがなくても、自分で解決できるとわかった」

「クライアントさん自身が、解決の主体であるってことが腑に落ちた」

なんていう話が出てくし、表情や口ぶりを聞く限り、そこには一定の実感がある気配。そんな話を聞くと私も、引き出すことの大切さ、クライアントさんの世界の中でダンスする楽しさが伝わったんだなぁと嬉しくなります。

でも・・・でもなんです・・・

その気づきが、まったく活かされないことが多すぎるんです。

たとえばセミナー最終日、残りの2時間を使って、20分間だけ自由に相互コーチングしてもらうと・・・

なぜかみんな、今まで通りのコミュニケーションに戻ってしまうんです。クライアントさんの探求を助けるためではなく、コーチ聞きたいことを聞いてしまう。クライアントさんの問題を解析して、ダメなところを直そうと誘導尋問をしてしまう。そもそも表情が硬くて怖い。そのコーチの在り方に影響されて、クライアントさんも固まって、深刻な空気になっていく・・・

講師がコントロールする断片的なワークではうまくいくのに、実践的なコーチング本番になると、突然、「リラックスして寄り添う」ができなくなってしまうという。そんな状況に、何度も遭遇しました.

コーチが、頑張ってしまう。そしてその頑張りが、無駄なだけでなく、むしろ逆効果なことが多い。

そんな光景を目の当たりにして、「どうしてこうなっちゃうんだろう?」と途方に暮れていました。

そしてさらにこの現象は、私が講師をしているプログラム以外でも、良く起きること。もはや「コーチング教育あるある」だったんです。

コーチの経験や世界観ではなく、クライアントさん自身の探求を支援し、クライアントさんが自分なりの答えにたどり着くのをお手伝いするべきコーチが

・コーチなりの「正解」を想定してそこに誘導しようとする

・ただただ傾聴するだけで、会話が進展しない

・クライアントさんの状況を、コーチが理解して納得するために時間をかける

・「どうなりたいか」「何ができているか」「何ができそうか」ではなく、「何がダメか」「どうしてダメか」ばかり聞いてしまう

・結局テンション上げて、熱く関わるだけ。一見ポジティブに見えてるけどスペース(アソビ)がないから、一時的に熱量が上がっても長続きしない。

主役はクライアントさんなのに、なぜかコーチが解決主体であるかのようにふるまってしまう。それも、質問形式で誘導しようとするから、余計にこじれる。

コーチは疲れるし、クライアントさんには利益の少ない時間になる。結局、学んだ技術も使えない。コーチが、クライアントさんより上の立場に立ってしまう。

(メンタリングやアドバイスが悪いわけではないし、私も時には提案や提言をします。でも、ヘタにコーチングのスキルと混ぜてしまうと誘導尋問や遠回しな強制になってしまって、ストレートに伝えた時よりも、関係性が壊れやすくなります)

もちろんコーチングを学ぶ人たちは、高いお金を払って頑張る気なわけだからやる気がないわけではないし、むしろいい人たち。そういう意味では悪くない。

僕のセミナーだけで起きるのなら、僕の能力の問題だけど、どこに行っても、似たようなケースに遭遇する。
だとしたら、たぶん、講師が悪いのでもはない。もちろん生徒が悪いのでもない。
「構造」の問題としか考えられない。

「コーチングをできなくさせる」構造

「コーチングできなくさせる構造」があるんじゃないか・・・

やる気もあり、練習を繰り返した人たちが、なぜかコーチングをできなくさせるもの。

講師の実力や、教室でのワークの質といった次元を超えた、もっと大きな構造があるんじゃないか・・・

・100人コーチングの途中で挫折する

・仲間内の練習はできるけど、教室の外での「一般」の人とのセッションをする勇気が出ない

・3年後には、もはやコーチングのことを思い出しもしない

・テンションと人生論で、相手をその気にさせる戦略に落ち着く。たまたま相性がいいと成果が出るし本人は気持ちいけど脱落者が続出する。

そんな悲しいケースが続出している。

時々は、そんなコーチに傷つけられてしまったクライアントさんたちにも出会う。

そして結局、3年後にも生き残っているのは、ほんの一握り。状況や能力やご縁な度に恵まれたほんの一部の人たちだけ。それはとても悲しいし、そもそも結局恵まれた人だけがうまくいくのなら、教育とは言えない。

かれこれ10年ほど前から、この「コーチングできなくさせちゃう構造」はなんなのか。

どうすればその構造をこわし、みんながそれぞれ、コーチングができるようになるのか。それを考え続けていました。どうしたらみんな、クライアントさんとの「瞬間瞬間のダンス」を楽しみながら、ともにセッションを作り上げていけるようになるんだろうか

そして見えてきたことがあります。

コーチに絶対必要な力

コーチにとって必須な力は「不確実性への耐性」。

先が読めない、どうなるかわからない、どうしていいかわからない状況で、落ち着いていること。ジタバタせずに、ある意味での「無力」をうけいれて、それでも、場をホールドし続けること。

(で、これから詳しく話すけど、教室という環境では、この力を養うことが、原理的に難しい。それ以外の要素は結構学べるんだけど、これだけはすごく難しい。ここが、多くのコーチや講師を苦しませる、ギャップになっている。)

不確実性への耐性があるからこそ、待てるし、落ち着いていられるし、決めつずにいられるし、信頼できる。クライアントさんが、コーチの想定とはちがうプロセスで、コーチの想定外の答えを見つけることを受け入れられる。

逆に、この不確実性への耐性が養われていないと、教科書通りの展開じゃないと(そしてそんな展開はほとんどない)不安になってジタバタしたり、逆に自分の人生論を振りかざしてしまったりする。安心なパターンに落とし込もうとして、その結果セッションがこじれたりする。

クライアントさんはさ、夢やら困りごとやら、いろいろあってきてるんだよ?良くも悪くも不確実で、先の読めなさも可能性もあるこの人生に取り組むために、コーチングを受けてるんだよ?

クライアントさんがいい状態なのにコーチがジタバタしてたら単なる喜劇だし、クライアントさんが大変なのにコーチもジタバタしてたら、悲劇が二倍じゃない。

だから、コーチングには、不確実性への耐性が必要。
僕自身は、むしろこれこそが、コーチングのすべてかもしれないとすら思う。

だけど、ここがすごく難しい。

(少し意味が違うけど、臨機応変にインプロバイズ(即興)する力ということにしといても大丈夫かな。とりあえず割愛するけど、知的肺活量とか、ネガティブケイパビリティとも関連している。)


コーチング教育が持つ「ジレンマ」

しかし、コーチングを学ぶ「教室」という状況では、原理的に、「不確実性」が減らされてしまう。
コーチングは人間や人生という、不確実性の高いものに関するものなのに、なかなか、そこを養うことができない。
これがコーチング教育が持つジレンマ。むしろ苦しさと言ってもいい。

これってすっごく片手落ちではあるけれど、でもこれは、構造的に仕方ないところもある。研修や教育のすべてが抱えるジレンマでもある。ある程度同質的な人が集まっちゃうし、集合型である限り、ある程度画一性のあるプログラムにせざるを得ない。教室というものは原理的に、不確実性と相反する空間なんだから。

でもだからと言って、そのままにしておくわけにもいかない。

想いを持ち試行錯誤をしているコーチたちのためにも、そのコーチに出会うクライアントさんたちのためにも。

どうやったら、不確実性への耐性をつけることができるのか。そして、先が読めないセッションの展開に、マニュアル通りやデモで見たのではないような話の流れに、軽やかに飛び込んでいけるようになるのか。安全を確保したうえで、その難しさの中で踊る力を、どうやったら養えるのか。その面白さを、どうやったら体験してもらえるのか。

そのためには、物事を習得するステップに立ち返る必要があった。

新しい技を習得するステップ

私たちは新しい技術を身に着けるときに、こんな4つのステップを踏む。

①事前の学びと練習

②実践・実戦的な練習

③本番勝負

④本番の振り返りとさらなる練習

自動車免許なら、①が学科や教習所での練習。②が路上教習、③④が運転の繰り返しということになる。
僕の好きな武道なら①が型稽古やミット打ち、②が組手(スパーリング)③が試合や現場での戦い。
営業研修なら研修やロールプレイから、先輩との営業同行、そして独り立ち。

という流れを踏む。

この「路上教習」「組手・スパーリング」「OJT」がないと、習得は苦しい道のりになる。

教室という人工的な空間で学んだことと、現実の現場には大きな違いがある。
現実は、いつも不確実で、ランダムで、想定外。学んだやり方や「型」が通用しないことの方が多いから。
「型」を学び練習するのは大切だけど、いきなり現場に行ったら大ケガしちゃう。

だから、自動車なら実際の路上に出て、教官が隣に座って安全を確保し、アドバイスをくれる。
武道なら、防具をつけたりすることで安全を確保し、でも型を超えて自由に戦う練習がある。

だけど・・・コーチングでは、これが難しい。

・教室での練習は各スキルを切り出して、人工的に練習するしかない。

・仲間内での相互コーチングは、お互い理論やスキルを共有した同士の予定調和に陥ってしまう。

・講師のスーパーバイズは、お金がかかりすぎるしクライアントさんを用意するのが難しい。

つまり教室と現場との橋渡しとなる実践・実戦的な練習が、実際問題としてできないような形になっている。

その結果、どうしても、「型を学ぶ→1人で実戦!」となってしまう。

教室にいる間に、充分な不確実性に触れることができないで実戦に放り込まれたら、型通りにいかない状態に混乱したり、ビビったりしてしまうのは当然。その結果、教わった手法を無理に当てはめようとして、うまくいかなかったり、失敗したり、こじれたり・・・

あるいは、もう今すぐ使える武器で戦うしかない。まだ身になじまないコーチングのことは忘れてしまって、これまで通りのコミュニケーションの取り方で何とかしようとせざるをえなくなる。

他にもいろんな要因があるけれど、これが僕の見つけた「できなくさせる構造」。

そして、これまで話したような、型通りのコーチング、無理やりな誘導、コーチング以前の昔ながらの人生論の押し付け、が起きてしまう。くじけてしまうコーチや傷ついたクライアントさんができてしまう。

ましてやコーチングを学ぶ人って、圧倒的に優しいし、人に対する感受性も豊か。
だからこそ失敗したら大きく凹むし、相手を傷つけら自分も傷つくし、心が折れてしまう。

そうなることがうすうす想像つくから、いつまでも仲間内での練習にとどまって、教室の外側の人、コーチングを知らない「一般の」人へのコーチングをはじめられない人もいる。

貢献したいからこそ、人が好きだからこそ、むしろ苦しくなってしまう。投げ出したくなってしまう。これってすごくもったいないし、悲しい。

(むしろ多少鈍感で、自分を振り返らないタイプの方が、がつがつ行動するし、メンターとしては輝いて見えたりする。それがコーチングなのかは別として。)

僕はどうだったかというと、若くて、もう他に本当になかった。これしかないと思っていたし、20代で何もなくって、若さゆえの前のめりで突っ込めて、失敗しても許してもらえたし、先輩はよくしてくれたし、すぐにお金にならなくても何とかなったから。だからいっぱい失敗できたし、何度もこけて擦り傷を作りながら、チャレンジできた。そして海外経験が「不確実性への耐性」を高めてくれていたし、おそらくあの当時はすこし、「頭のねじが外れた」状態にもいた。でもこれは、とても幸運でレアなケースだろうと思う。

そしてすごく幸運だったのは、ソリューションフォーカスやコーチングをはじめとした、世界中の対人支援の第一人者と寝食を共にしたりしながら、その人が教室では離さない失敗や、悩みや、リアルなコーチングを見ることができたから。そしてその人たちが、不確実な中でも、軽やかにダンスする姿を何度も見ることができたから。でもこれってやっぱり、たぶん、みんなができる体験じゃない。

芸事なわけだから、「実践するしか上達の道はない」「現場に本当の学びがある」のは真実ではある。だけれども「教室」と「現場」のギャップを放置したままで、ただ「経験を詰め!」っていうのは、僕はやりたくない。トレーナーとしては、自分自身の幸運にアグラをかいて、本来素晴らしい働きをする可能性を持った人の芽がつぶれる状況を放置しているわけにもいかない。

やるべきことは・・・

・安全を守りつつも「不確実」な状態を作り出すこと。

・コーチの想定通りに行かない展開に直面しながらも、コーチでいつづける練習をすること。

・教室と現場の橋渡しとなる。どちらでも使えて、気軽に持ち運べ、現場においては安全と安心を担保してくれる補助輪や防具、グローブのようなもの。

・かつ、ワークとしての柔軟さがあること。どんな局面でもこのツールを手放して、自由に自分なりのやり方を試したり、改めてこのツールに戻ってこれる柔軟さがあること。「最後までやらないと機能しない」「途中からは使えない」ものではないこと。

どうすればこんなことができるのか、この10年以上の悩みをぶつけ、5年以上の開発期間を経て、やっと一つの答えができた。

それが、コーチング・ダイス®

★ゲーム感覚で、楽しくコーチングを実践できる
★「計画されたランダム性」によって、安全と不確実性の両方を最大化できる。
★「いいセッションにしなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」というプレッシャーからコーチを開放してくれる。
★コーチの「読み」や「誘導」が通用せず、かつ、コーチが場をつくり続け、状況に合わせてコーチング的なかかわりをし続けられる状況を作れる。
★クライアントによる忖度や勘繰りを減らし、コーチとクライアントの関係性をスムーズにフラットにしてくれる。
★コーチは、安全にコーチとしての底力をつけ、クライアント自身も自分に向き合える
★コーチングの中でも最も基礎的で重要な質問を、暗記ではなく自然と身につけられる
★持ち運びやすく、いつでもどこでも使える。コーチングの現場にもっていくことで、教室と現実との橋渡しになる。安全を確保しながら貢献するための補助輪になる。
★普段の日常会話からコーチング的な会話に移るときのフックにも使える。なんならチームや組織にも使える。
★コーチングを教える上でのむつかしさである、「即興」「寄り添いつつホールドする」そしてそれを支える「不確実性への対処力」を養うことができる。

そんなツール。

自分で改めて書きながら、ここまで利点あるの?多すぎない?と思ったけど、や、考え直してみても、全部可能っぽい。だってまぁ、そういうのを作ろうと思って作ったわけだから。大変だったけど。

何度も試し、作り直し、いろんな人に相談し、様々な先輩やプロの力を借り、何度も投げ出しそうになりながら、それでもやっぱりあきらめたくなくて、やっと、皆さんにお届ける形にできました。コーチングを学びたい人、自分のコーチングを振り返りたい人、そして、流派を問わずコーチングを伝えようと頑張り続ける、この国とこの惑星のトレーナーたちのために。

ぜひ触れてみてください。
そして一緒に、このおもしろいコーチングの世界を、さらに楽しく、軽やかに、探求しましょう!

★ゲーム感覚で本質的なコーチング力を養えるツール、
コーチングダイス®公式HPはこちら!

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