お姉ちゃんが、いた。

僕には、姉がいた。

「おねえちゃん」と呼んでいた。
僕より3つ上で、

どちらかというとおとなしい姉だった。
大学4年生の夏まで、この世界で生きていた。

言語療法士を目指していた。

意外と内弁慶で、
両親をてこずらせたり、
長女らしい小狡さを持っていたり、
部屋の中にのみかけのペットボトルを溜め込んだり、

いろいろと、もちろんややこしい所はあったんだけど、

とてもピュアなところがある、
真っ白なスポンジのような人だった。
勉強とか、頭方面では、
一度も勝てなかった。

小学生の間は、
もちろん体力でも勝てなかった。

高校からバイオリンを始めて、
大学でもオーケストラに所属して、
パートリーダーなんかをやったりもして、

マキちゃんとか、マキさんとか呼ばれながら、
愛され、慕われ、かけがえのない存在となっていた。

僕達家族にとっても、
もちろんかけがえのない存在だった。

僕にとって姉は、
両親からの愛に匹敵するほどの、
人生最大の贈り物の1つだった。

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大阪の高槻に引っ越してきて、
造成されたばかりの新興住宅地で暮し始めて、
まだ周囲は家も立たずに、空き地ばかりで。

その空き地に家庭用のプールを置いて水遊びをしたり、
空き地に生えたヤマゴボウの実の、紫の液を使って紙を染めたり。
まだ小学生に上がる前だった僕は、
姉と、両親の愛に包まれていた。

小学校に入ったばかりの僕に、学校への近道となる山道を教えてくれたり、
ジョギングを始めた僕に、自転車で着いてきてくれたり、
僕が北海道に留学した時、家族全員で北海道までドライブしたり。

とても賢い人で、
文学の話なんかを、聞かせてくれたり、

僕が大好きな田中芳樹も、姉から教わったものだった。

僕はとても不器用で、
随分姉を傷つけもした。
ちょっと想像もできないぐらい、ひどいことをした。

それでも姉は、静かに耐えていた。
中学生の頃、胃が痛くなった時もあったと言う。
僕は中学校で北海道、高校でノルウェーと、2回家庭を離れて、

少しずつ家族のありがたさがわかるようになり、

自身や人との関わり方を学んで、
少しずつ、また良い関係を築けるようになっていた。

大学生になって、一人暮らしをはじめて、
なんだかやっと姉と対等になれた感じがして、

今度の夏休み、色々話すつもりでいたら、

あっけなく、死んでしまった。

(脳腫瘍があって、大阪医大病院で手術は上手く言ったんだけど、
最近が増殖して、敗血症による心不全だった。
両親は医療過誤と言うことで訴訟を起こし、敗訴した。
真実は、誰も知らない。少なくとも僕達は。)

僕が最後に見た顔は、
麻酔で深い眠りに入っていて、

表情と言うものがなく、
姉だとは思えなかった。
パイプに繋がれたその顔をみて、
なぜかドラキュラを連想してしまった。

その日の夜、連絡を受けて駆けつけた病院では、
まさに、ドラマのERのような光景が展開していた。

僕が上京する新幹線の、
梅干しうどんを食べた直後の見送りの、

何のことはない笑顔を残したまま、
僕には一言も話しかけず、姉は往ってしまった。

葬儀には、ちょっと驚くぐらいの友人が訪れた。
親戚が取り仕切ってくれたので、僕はただただ、泣き続けることができた。

突然1人になった僕が、
姉のいない世界に慣れるまでは、
随分時間がかかったし、

今でも、慣れているというわけでもないかもしれない。

人生の数年間に経験した、
あの、這いずり回るような苦しみは、
姉の死がなければ、後回しにできたかもしれない。

そして今でもこの胸に、痛みは残っている。

僕はその後、
随分生きることに一生懸命になったし、
いろんなチャレンジをして成長をしたし、
人への優しさも、身につけることができた。

だけど、喪失をキッカケに得たものは、
姉そのものとの埋め合わせには、ならない。

悲しむことを辞めようとは思わない。
自己憐憫になることが恥ずかしいとも思わない。

痛みはこれからも、僕に涙を流させるかもしれない。

悲しいことは、悲しい。
寂しいことは、寂しい。

それでいい。

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そして僕には、姉がいた。
僕には、おねえちゃんがいた。
僕より先に、旅立ってしまった。

それでも、僕には、姉がいた。

悲しみとか、寂しさとか、後悔とか。。。
これからも、気軽に尋ねられる、
「西田さん、ご兄弟は?」という問いへの対応の難しさや、

いろんなことが僕の心におきるわけだけど、
それでも、僕には、19年間、姉がいてくれた。

僕の幼少期を包み、
僕の知性をはぐくみ、
僕の感性を伸ばし、
越えられない壁として立ちはだかり、
人生の19年間、かけがえのない時期を共有してくれた人が、
僕にはいた。

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どこかのマンガで見た問いかけ。
そしておそらく多くの人が経験したであろう葛藤。

「愛を知らないことと、
愛を知って、それを失うこと
一体どちらが、不幸なのだろうか
一体どちらが、幸福なのだろうか」
僕にとっての答え。

愛を知って、それを失うことのほうが、はるかに祝福に満ちている。

だからこれからも、胸を張って、愛を伝えたい。

胸を張って、愛を受け取りたい。
失ったなら、思いっきり泣いて、
全てを引き受けて、また歩き出そう。

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お姉ちゃん、

もしも天国と言うものがあるのなら、
貴方は多分、天国にいるのでしょう。

そして、色々愚痴を言ったりしながらも、
誰かを助けたり、誰かに頼られたりしているんでしょう。

おとなしく、知恵に満ちて、力強く、
この地上の僕達か、或は天上の仲間と、
関わり続けているのでしょう。

あなたがいてくれたことで、
僕は、今の僕でいられます。
あなたがいてくれたことで、僕は、
僕の道を歩み続けることができます。

あなたがいてくれたことで、僕は、
愛を求め続けることができます。

別にあなたの声が聞こえるわけでもないし、
あなたに話しかけることもないし、
あなたならどうするか、なんて考えることもありません。
ミニサイズのあなたが、僕の胸のなかで暮しているわけでもありません。

あなたが僕の中で生きているのかといえば、
少し、なんだかちょっと、表現の月並みさとか、
あとはやっぱり貴方はここにはいないので、
首を傾げてしまうんですが、

僕は僕の人生を、歩き続けるわけですが、

それでも、僕の人生の中に、

今も、これからも、貴方は存在し続けます。
あなたがいたという19年だけでなく、
これから僕が歩き続ける道の上にすら、

あなたの痕跡は、常に刻まれ続けます。

どうやら、僕が僕の人生を賛美したいのであれば、
あなたの存在も、自動的に賛美されてしまうようです。

僕があなたの存在を賛美することで、

同時に、僕の人生を賛美することができるようです。
それであれば、僕たちは、19年間を共に生きてきた。

その事実に、誇りと祝福、そして感謝を捧げようではないですか。

そして、あなたと私に生を与えてくれた両親にも、
精一杯の感謝を捧げようでないですか。

僕は常に、生きることはすばらしいことだと言う答えを、えらびたいのだから。

僕には、あなたがいてくれました。
そして僕は、これからも常に、あなたの弟であり続けます。

ありがとう。
あなたの、20年ちょっとの人生と、

もしかしたら、今も続いているあなたのアフターライフに、祝福を。

あなたの弟。ひろ。

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