コーチの役割ってのは、もしかしたら、
新しい可能性を作ることでも指し示すことでもなく、
クライアントさんが持つ無限の可能性=これからの道を、
比べてみたり、
意識化してみたり、
シミュレーションしてみたり、
書き出してみたり、
そうやって、
可能性=これからの道を一緒に探求して、
どの可能性を(改めて)選ぶかを選択することを支援する。
それはクライアントさんがすでに持っているものだから、
本人が実現することができる。
もしかしたら、
コーチがいなくてもその道・可能性をいくかもしれない。
そして、
コーチとともに探求することで、
もしかしたらよりよい道・可能性を選べるかもしれない。
そんだけのこと。
そんだけのことに、
血道をあげるって言う、
なかなか変わってて、楽しいお仕事。
かもしんない。
追記:
この文章を、FB用に英語訳してて思ったんですが、
可能性は、その人の中にすでに内包され、
シュレーディンガーの猫っぽい感じで、
この宇宙にすでに存在してるんだよね。
コーチングの先達で、
GROWモデルを作ったジョン・ウィットモア卿は、
「ドングリの実は、
巨きく強い樫の木へと成長するために
必要な情報をすべて持っている」
“The oak seed has stored in itself all the necessary information
to grow into a big strong tree.”
と言ってる。
コーチが、何かの形にするのではなく、
自らの姿・可能性に気付き、
そこへと伸びていくのはあくまでもクライアントさん本人。
時にはその可能性は意識化されていることも、
されていないこともあるけれど、
意識化されているなら改めてそれを形にしていけばいいし、
さらに検討して、選択をすればいい。
意識化されていない場合は、
意識化するだけでもいろいろと物事がスムーズになる可能性もある。
もちろんそんなことしなくても、うまくいくかもしれない。
どちらにせよその素材のようなものは、
クライアントさんがすでに持っている、
あるいは世界に、形をとったりとらなかったりしながら存在している。
時にはその発見が、
クライアントさん自身にも新鮮で、
新しい発見に見えることもあるかもしれないけど、
やっぱりそれは、クライアントさんの中に内在していたもの。
あるいはクライアントさんの住む世界に、
すでに種として埋め込まれていたもの。
そして、人は多くの場合、特定の植物の種、
というよりも、ひとつの種の中に、
より多くの木や花や草になる可能性を持っているんじゃないかと。
コーチングは、その可能性を探求し、検討し、
選び出していく作業にご一緒する仕事なのかもな、と思います。