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道端の、よくある、答えのない問い

スリランカ人の仲間と買い物。
小腹がすいて、近くのモールの屋台で、
ココナッツジュースと焼きそば。
200円ちょっと。

 

青いシャツを着た、
10歳ぐらいのこどもが、
話しかけてくる。
(以下はフェースブック記事より抜粋。
ここのところ近況報告は、FBでやってます!
https://www.facebook.com/hiroaki.nishida.355)

 

何を言っているのか、分からないんだけど、
明らかに、物乞いをしてくる。

 

一般的には、
「何かをあげたところで、彼らのためにならない」
「むしろあげちゃいけない」

といわれている。

 

僕も基本的にはそう思っていて、
だから、居心地悪さと共に、
無視を決め込むけど、
今回の彼は、あきらめようとしない。

 

か細い声で話しかけつづけ、
そのうちに、僕の腕や、わき腹を、
指先で、弱弱しくつついてくる。

痺れを切らした仲間が、
「じゃあ買ってやろう」っていって、
何が欲しいかをきいたら、
食べ物ではなく、ココナッツジュース。

 

その後しばらくして、
僕が居ない間に、
また仲間に、物乞いに来る。

 

・・・

 

仲間と帰りながら、
「ああいうの、どうすればいいんだろうね」って話し合う。

無力さ、惨めさを演出する彼に、
ここで何かを買ってあげたら、
彼は、人に依存することを学ぶ。

 

今回の彼については、
肉体的にも、知的にも、
何かチャレンジがあるようには見えない。

 

飢えてるのなら、
ジュースではなくて、
別の食べ物を欲しがるはずだし。

 

だからって、働けって言たって、
彼が働き出す可能性は低そうだし、
ほかの働いている子どもたちとは別の、
物乞いという手段を選んだ経緯があるはずで、

 

もしかしたら親を亡くしたのかもしれないし、
なにか、酷く勇気をくじかれたのかもしれないし、

 

僕は彼の年のころは、
小学生してたけど。

 

あのときの僕が例えば、
親を亡くして、親戚にも見捨てられたら、
どうなってたかわかんない。

 

どこかの自己啓発書で呼んだみたいに、

僕が一言や、何か本を与えて、あるいはセミナーに呼んで、
彼の人生が劇的に変わる!
みたいなことが、簡単におきるわけでもなさそう。

 

無力感というか、
なんともいえない後ろめたさを感じる、
なんともいえない気持ち。

 

こういうことは、
途上国、といわれる場所に居る限り、
かなりしっかり味わうことになるはずで、

 

今までだって結構味わってきてて、
日本にだって実はあって、
そして答えが出ないであろうことも知っている。

 

でもやっぱり、僕はコーチで、
人が前に向かって進むことを応援する存在で、
だから彼に何もできなかったことは、悔しい。

 

ああやって、いやな表情をして、
無視をすることが、
本当にしたいことだったかというとそうじゃない。

 

だからといって何かを恵むのだって違う。
どうすればよかったんだろうなって、
かれこれ50時間、
ふっと思い出しては、
そのことを考えています。

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