界船で出会った、僕が心から応援している若者の一人が、
新聞に載りました。
バングラディシュで弾圧を受けている先住民族、
「ジュマ」の学校に行くとのこと。
たぶんこういう人たちが、今の10代20代に一杯いて、
僕たちが持ったこともないような想いを持ち、
僕たちが気づきもしなかったような方法で、
僕たちが思いもしなかった未来を、
作っていくんだ。
もちろん、僕たち大人の側が、その可能性を感じられず、
ダメだとか、どうのこうの、言いたくなるのは、
仕方ないことかもしれない。
だって、その若者達が持っているものは、
僕たちが見たこともない、持ったこともない発想と考え方だから。
つまり僕たちの認知の枠を超えたものだから。
ノルウェー語を話せない人にとって、
ノルウェー語が宇宙語にしか聞こえないように、
彼ら/彼女らが見ている世界は、
僕たちの予想や経験を超えたものだから。
そう。
ちょうど未来が、いつだって僕たちの予想を超えるように。
で、そんな若者を馬鹿にすることは、とても簡単なことだけど、
僕は、かっこいい大人でいたい。
「よくわからない」と感じる他者に出合ったとき、
バカにせず、その人の可能性を見て、
根気強い対話を通して理解し合い、
「オレも負けない、一緒にがんばろう」といえる、
かっこいい大人でいたい。
そしてそれは、世界の戦争や平和とつながっていると思う。
国境や文化の向こうの、異質な人たちとつながり、
根気強く対話し、一緒に未来を作ろうとすることもできる。
国境や文化の向こうの、異質な人たちを、
自分より劣った人間として、あるいは圧殺すべき脅威として、
排除することもできる。
そして、世代や時間の向こうの人たちを、
排除し攻撃するのか、
それとも、尊重し、対話し共に未来を作ろうとするのか。
これも、選ぶことができる。
そして、別の国や文化に属する人にどう対応するのか。
別の時間や世代を生きる人にどう対応するのか。
その態度の違いは、
実は、世界が、戦争を増やすのか、平和を築くのかに、
大きく影響を与える要素だと思う。
で、僕はせっかくだから、
自分自身が、かっこいいほうの大人でいる時間を、
自分自身が、平和を作り出せるほうの人間でいる時間を
増やしたいと思う。
だって僕が住みたい世界は、
より平和で、より安全で、
よりクリエイティブで、よりおもしろい世界だから。