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目標設定、トラウマ?、許し

許す、と言うこと。
過去をリソースとすること。
「ネガティブ」な経験を裏返してしまうこと。

『ゴール設定すれば、トラウマやリミティングビリーフなんて外れてしまう』

少し前苫米地氏の話を聞いたとき、

「クライアントのリミティング・ビリーフやパターンを変えるのが難しい」

というコーチの質問に、
さらりと言ってのけた言葉。

ほへぇ。と言う感じだった。

だけど、本当にそうだなと思う。

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長めの昔話。

許せない人がいた。

僕には、もう15年近く、どんなワークをしても、どんな勉強をしても、
どうしても、許せない人。

どれだけ許しが大切だと教わっても、
その人が不幸であることを、その人が報いを受けることを、
今その人が罪悪感で苦しみ、癌にでもなってしまうことを、

願わずにはいられない人がいた。

確かに、なかなか経験できない、すごい環境だった。

逃げられない状態での暴力、睡眠の剥奪、
メンバー一人ひとりの人格への冒涜。

ひどく傷つけられ、「ひろ、俺たち、何があっても友達だよな」
と涙ながらに確認しに来た仲間もいた。

毎朝のようにみぞおちを殴られていた仲間もいた。

2009年の今なら、すさまじいスキャンダルかもしれない。
許せなくても、不思議ではないかもしれない。

だけど、彼を許さず、拒否をし続けることで、
僕は自分の男性的なエネルギーに蓋をし続けきたようだ。

ところが、やっぱり実現したい世界が見えてきて、
そのために具体的な行動をしたいと思って、

ほんの少しずつ動き出した時。

突然彼のイメージが、変わってしまった。

彼は、悲しい人だった。
彼は、おそらく怯え続けていたんだろう。

10代前半の子どもたちすら、制圧すべき敵に見えていたほどの。
弱みをみせられないこと、謝れないこと、
常に強く完璧でいなければならないこと
おそろしく、寂しかったはずだ。

そして、今の自分がその暴力によって損なわれたところは殆どなく、

むしろその状況でも乗り越えられた自分の強さや、
自分の周りにいた先生、仲間やその他の、
素晴らしい、普通の人たちの、愛に満ちた関わりこそが、

僕を今の僕にまで連れてきてくれたことに気がついた。

彼はただ、暴力のむなしさを、
僕たちに実演してくれただけだったんだ。

彼自身の心と身体に、悲しみをうちつけながら。

暴力は、物事を破壊する力まではあるんだけど、

愛や幸せ、癒し、安心感、喜びと言った、

人が人として望むものをもたらしてくれはしないんだということを。
むしろその逆なんだということを。

今度もし彼、或いは彼のような人にあったなら
憎むことでも怯えることでもなく、
彼の痛みに共感することや、

彼の情の深さ、筋を通す潔さ、リスクを負う勇気、
そういったものに焦点を当ててみたい。

そうして、人間同士の付き合いがしてみたい。
何かしらの形で暴力を封じ込める必要があったとしても、

まずは人間としての付き合いを試してみてからでも遅くはなんだし、
共感を得たり、本当の希みに気づいた瞬間に、
行動がガラッと変わることだってあるかもしれない。

世界平和を望む人間が、
自分の憎悪1つ処理できなくてどうする?ってもんだ。

許しとは多分、視点の変化だ。

その人の、実はいいところを思い出したり、
相手の変化の可能性が見えたり、
相手なりの立場や希が垣間見えたり、
相手の人としての存在価値を再認識したり。

そして、その人を傷つけたがっている自分を、
その人の不幸を望む自分を、
自分のほうが絶対に正しいと主張する自分を、
つまりその人と同じ土俵に自分を縛り付けている自分を、
緩めてあげることなんだ。

許し?視点の変化の、嬉しいおまけは。
自分の男性的な側面を、より受け入れ、伸ばすことができるようになった。

攻撃的な部分、コントロールする力、力ずくで押し進む方法、

そ言ういったものを引き出し、うまい具合に使えそうな感じがする。
さらに、15年間引きずった記憶を手放せた自信。

自分を含むあらゆる人が、恨みを乗り越え、よりよいものをつくる力があるという確信。
目標を持つことで、どれだけ人が変わっていけるかと言う可能性への信頼。

手放した手の平の上には、そんなものが色々と、飛び込んできた。

許しは何よりも、自分自身に力をくれた。

より良い未来を作っていくための力を。

(関連記事:「そのまんまでいいよ」 そのときお世話になった、保健室の先生について)

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15年前の思い出が、僕を支えてくれている。

15年前の思い出が、僕を前に進ませてくれる。

15年前の思い出が、僕の力になってくれる。

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目標ができ、在り方が変われば、景色が変わる。
目標を決めれば、アイデンティティが変わる。
アイデンティティが変われば、その新しい自分はもはや、
過去に傷ついた自分でもなく、過去にとらわれている自分でもない。

新しい視点から、物語を作っていくことができる。

そういう意味では、トラウマは本当に存在しない。

確かに明確に邪魔になっているものがあって、
それに対処するための具体的なテクニックやリソースがあって、
すぐそれをなくしてしまうことができると明確にわかっているなら、
やってしまえばいい。

トラウマをなくすことに集中するのはあまり幸せになれない。

トラウマがなくなったって、幸せと言う現実がそこにあるとは限らないから。

その時に、「まだ問題があるんじゃないか?」なんて思ってしまうと、
あるいはそう信じ込まされてしまうと、トラウマ探しを始めてしまう。
そうすると、余計に辛い。泥沼にはまってしまう。

トラウマをなくすことは対症療法でしかなくて、

現実が持続可能な形で変化したり、
幸せを増大させたり、
生きる力を強めたりすることには、
直結しない場合がおおい。

だから、あくまでも、トラウマやリミティングビリーフとは関係のないレベルで、
どこに行きたいかと言うことを設定しておくことが大切。

そうすることで、幸せな現実を創る方向に、
自分の想像力やエネルギーが伸びてく。

(もちろん多くの手法にはそのメカニズムが組み込まれていて、
目標設定のプロセスが必ずあったりする。ない場合は、自分でやっておく)

おそらく目標設定がない状態でうまくいったときは、

本人が無意識に望む姿を明確にしていたり、
そのトラウマに向き合うという経験を通して本人が成長したり自身がついたなど

トラウマがなくなったこと自体以外にも、さまざまな要素がついているのだと思う。

人は前を向いている時に、一番強く、力が出て、安心する。

未来を作ること。
自分の能力を掘り出して、自分に惚れてしまうこと。
今ここで幸せであること。
大切な人に、大切だと伝えること。

そういうことを、もっと大切にしていきたい。

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