そうか、そういうことかぁ!
つまりは、無力から、始めればいいってことだ。
地球で起きていること、人類全体におきていること、
もちろん、素敵なことも一杯おきているけれど、
クソみたいなことも一杯おき続けている。
そしてこれからもおき続けるだろう。
そしておそらく、僕もその一端を担っていることがある。
これからも戦争はおき続ける。
人は人を殺し続ける。
もっと酷いことだってし続ける。
それに対して、僕ができることは、圧倒的に小さい。
仮に10回生まれ変わっても、
たった一つの戦争をなくすことすら、できないかもしれない。
国内で起きている、もっと身近な問題だって、
簡単には無くせない。
たとえば、半径100メートルのどこかに、
今すぐ死にたいって思っている人が、おそらくいるということ。
その人を一瞬笑顔にすることすら、できないかもしれないということ。
仕方ない。
だって世界は大きいんだから。
そして、人間である僕は、ちっぽけなんだから。
たとえば、もしも世界から戦争がなくなるとしたら、
それはもっと大きな流れなわけで、
仮に、もしも神がいるとしたら、その意思みたいな話しかもしれないし、
人類はやっぱり何千年もかけて賢くなってたのかもしれないし、
ただの偶然なのかもしれないけれど・・・
それはそれで、やっぱり、
あがらえない流れで、とめることもできない。
それはそれで、やっぱりほぼ無力ってことだ。
つまり、どうせ、ほぼ無力なわけだ。
チャレンジしたら失敗するだろう。
世界を見渡せば悲しいことに出会うだろう。
戦争は、おき続けるだろう。
自分の人生すらままならないこともあるだろう。
だからって、自分を責める必要はない。
だからって、人生を悲観する必要はない。
だって、もともとほぼ無力なんだから。
それが事実なんだから。
で。
そこから始めればいい。
何かやり続けたら、時にはうまく行くことも、あるだろう。
動き続けたら、ちょっとは変わることも、あるだろう。
そこをみていけばいいってことだ。
やり続けた自分を。
ささやかながら、何かできたかもしれない瞬間を。
その旅路で出会えた人や物事を。
本当に、ちょっとしかできないかもしれないけれど、
ちょっとだけやってみた自分を、
ちょっとだけを続けた自分を、
望み続けた自分を、
あきらめかなった自分を。
この世界の大きさに直面して、
それでも、何かしてみようと思っちゃった自分を。
時には、ミラクルが起きることもあるかもしれない。
でも、おきなくてもいいわけだ。
時には、思ったよりできることがあるかもしれない。
でも、できなくてもいいわけだ。
ただ、いま、自分がやるべきことを、できることを、
ちょっとずつ、やっていけばいいんだ。
それしか、できることはないんだから。
そして、それをするということは、できるんだから。
ほぼ無力だからって、何もしなかったら、
本当に何もできない。
何もおきない。
そしたら、何かが起きる可能性すら、作れないんだから。
ほぼ無力な自分から始めて、
それでも望み続け、この世界に対して、働きかけ続けよう。
そしたら・・・たとえ何も起こせなかったとしても、
人生の終わり・・・
ちょっと満足して、死んでいけるかもしれない。
“We can not do everything, but we can do something.”