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自殺について所感(平和大でのレポート)

レポートの内容を考えてる途中での所感。
まとまってません。

■まず前提として、
僕は自分の命を絶つのは、
多くの場合とても悲しいと思います。

僕は20代で姉を亡くしていて、
もう、それはそれは苦しかった。

姉の場合は、病死または不適切な医療だったので、
自殺ではなかったんですが、

もしもあれが自殺だったら、
今の僕でも想像できないぐらい、

僕は苦しんでたと思う。

そして、
どうも自殺って言うのは、
メディアや文学で語られているほど美しいものではなく、

実際にしてみると、
体がひどくグロテスクな状態になったり、
遺族にいろいろとお金が請求されたり、
失敗して障害を負ったりする事もあるということは、
それは、現実的な結果を知るための知識として、
周知されるといいなぁと思います。

また、こちらの映画この映画にあるような、
借金の取立てで保険金自殺をさせるとか、
いじめなど、
ひとを自殺に追い込む行動や環境は、

非難・改善されて、しかるべきだと思います。
映画(youtube: SAVING 10,000 – Winning a War on Suicide in Japan – 自殺者1万人を救う戦い – Japanese Documentary)

何よりも、これだけの人が命を絶つということ、

そしてその背後に、
はるかに多くの、生きることに苦しむ人たちがいることは、
日本は今、人が生きにくい環境だと思うし、
僕自身も生きづらさを頻繁に感じます。

何とかしなきゃいけないと思いますし、
僕なりの努力を続けています。

■それを踏まえて・・・ちょっと表現が難しいんだけど、
「アンチ自殺キャンペーン」には、抵抗を感じている。

やるべきことは、
「生きていってもいいかも/生きていけるかもキャンペーン」
じゃないのかな。

「自殺しちゃダメ!!」とか
「自殺は悪」って主張しても、
あまり意味がないような気がしてる。

そんな事いったって、
ホントに苦しんでる人には響かないし、

むしろその人たちの、
「分かってもらってない!」っていう気持ち、
苦しい思いや孤独感をつよめちゃいそう。

これは日本人的な考え方なんだろうか?

日本人は自殺や死を美化する傾向が強いとのことだけど、

僕もその一人で、
例えばキリスト教圏の人たちからみれば、
僕のこの考えそのものが、

罪深く、狂気に満ちた考え方ってことになるんだろうか?
じゃあ僕たちはもっと西洋化すべきだというのだろうか?

(昔キリスト教圏では、自殺した人は、
 十字路に埋められたと聞いたことがあります。
 許されない罪を犯した罰として、ずっと踏み続けられる・・・)

そして「強くたくましく、明るい未来を築くため」に、
遠い国に爆弾を落とさなきゃいけないんだろうか?

■「影をなくそう、すべてを光で照らして明るくしよう」
とするんじゃなくて、

僕たちには、アジア人なのか日本人なのか・・・
僕たちなりの、生と死との折り合いのつけ方があると思う。

桜が散る様を、ただの敗北?のようなものではなく、
桜は散るからこそ美しいと思える文化は僕は美しいと思うし、

東日本大震災の後、
日本人の落ち着き具合が世界中の賞賛を浴びたらしいけど、

あれも、

意外と僕たちが、死というものに対して、
敵対的な姿勢をとっていないからこそ、
できたことかもしれないし。

■人生ってたぶん、いつだってうまくいって明るくて、
希望に満ち溢れた状態ですごせるわけじゃない。

人間ってたぶん、いつだって強くって、前向きで、
すべてを引き受けて進んでいけるものでもない。

生きるのがつらいって思う瞬間は多くの人にあるだろうし、
そのときにこの人生から逃れたいと思うのも、
不自然なことではないように感じるし、
それを、「悪」だと裁かれても、

僕みたいに、不完全な人間としては、
なんだか身の置き所がなくなっちゃう。

「自殺がどれだけ馬鹿げたことか」という議論よりも、

最近僕の仲間が書いた新聞記事の中に、

「つらい過去を背負うとしても、支える受け皿があることが大事」

って言葉があるんだけど、そのほうが、僕には説得力がある。

僕たちの人生は、喜びや希望や、勇気に彩られた、
祝福されたものであると同時に、

人生が苦みにみちたものだっていうのもやっぱりそうで、

死への誘惑も、全力で生きることと隣り合わせにありそうで、
だから、

なんだかどっちも包含した状態で、

より深みのある人生を作っていくことはできないかなって思う。

■レポートは、学術的な根拠とかも必要なので、
というか2000単語だし明日のあさが期限なので、
もっとシンプルに手っ取り早くまとめることになっちゃいます。

たぶん全体的には、
・夏目漱石が言うように、
 そもそもヨーロッパにいきなり追いつこうとする努力が、
 無理を強いるものであった。
 

・その土台なしの近代化が意外とうまくいって、
 高度経済成長を迎え、
 社会的な成功が人生の価値を決めるものとなった。
   

・ところがこのストーリーが機能しなくなった。
 機能しなくなっただけじゃなく、
 むしろ経済情勢などは、悪化し続け、
 未来に対して希望を抱くことが難しくなっている。

・また、伝統的な価値観も壊されているし、
 かといってそれに代わる価値観が生まれているわけでもないので、
 人生に意味を与えるという行為も困難。

なんていうあたりを中心に、
話を進めていくことになりそうです。

■それともうひとつ。
僕の問いは、自殺を防ぐというよりも、

この日本の、なんだか人が生きにくそうな状況を、
なんとかできないだろうかっていうものだと思います。

これは、これからも考え続けていきます。

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