ここ2、3週間、「手放そう」という声が胸の奥から聞こえる。
何を手放すでもなく、どう手放すでもなく、何のために手放すでもなく。
頭で手放さなきゃって考えるんでもなくって、
胸の奥から聞こえてくる感じ。
てばなそう、てばなそうって。
別に今の生活、結構満足だし、煮詰まってもいないんだけど、
手放そうって、気がついたら思ってる。
何のためにだかわからない。
とにかく、手放そうって言う衝動だけが沸いてくる。
この、何かが胸の奥から聞こえてくるって言う感じそのものが、
なんだかものめずらしい。
今までも手放すって大切だと思ってたし、手放しな生き方にあこがれてきてたけど、
「何かのために」手放そうとしてた。
軽くなるために、楽になるために、トゥルンパ・リンポチェみたいになるために、
新しいものを手に入れるために。
これじゃがちがちにしがみついてる。手放してないよね~(笑)
わかってなかったなぁ。
手放すために手放すってのが大切なんだろうなあ。
・・・・なんて思ってる俺って、ちょっと成長した?
もしかしてちょっと人生の次のステップが近い?
とか思ってるあたり、まったく手放せてなかったりする(笑)
と、まあ、手放してるんだか手放してないんだかわからない今日この頃。
でもまあ、心の自由は随分、増えてきた気がする。
僕の外側で何が起こっているかは、
本当がどんな態度を取るかとは、全く関係ないんだなぁ。
辛いからって落ち込むのか?
嬉しいからって調子に乗るのか?
歓びを選択するのも、苦しみを選択するのも、
自分次第なんだなぁ。
シンプルに、シンプルに。
:::::::::::::::::::::::
・・・とここまで書いて、アップして、入浴。
なんとなく気付いたこと。
もし手放すものがあるとすれば、なんとなく、「自分自身」な気がする。
この、自分だと思い込んでいるものへの同一化、
自分と思っている様々なものとの網目。
そういったものを、一旦緩めてしまいたいんだと。
結果ではなく、プロセスに入り込んでいく。
目指すのではなく、今ここにあるものに没入する。
「自分らしさ」ではなく、今この瞬間の自分の姿を現していく。
過去からの線的な流れではなく、未来に向かって両腕を広げる。
自分の存在する感覚を力みに求めるのではなく、世界との触れあいに求める。
考えるのではなく、言葉が溢れてくるのを待つ。
夢ではなく、今この瞬間の望みを。
観念的な愛ではなく、一緒にいる歓びを。
救いではなく、今ここにある歓びを。