・・・で、誰がトルコのために祈るんだろう。
誰がベルギーのために祈るんだろう。
ベルギーはヨーロッパの一部だし、
もしかしたらまたプロフィール写真の国旗への変更サービスとかでるのかな。
それとも、フランスはやっぱり別格扱いなのかな。
トルコは親日的で、日本にいろいろ良くしてくれている国。
だけど、どうせ、「あまり興味ない遠くの国」扱いされちゃうんだろうな。
そして、もはや悲劇が、
コンビニのおにぎりみたいに普通のことになっている色々な国。
多くの場合、金髪や青い目や白い肌をもたない人たちの国は?
否応なしに、命の重さには序列つけられている。
地理的な距離ではなく、それ以外の要素で。
僕自身も、そんなシステムと文化の中に生き、それに守られ、そして傷つけられている。
(少し意訳)
“世界中の人が、「私たちもシャルリーだ、フランス人だ」と言う。
そしてこの「私たち」は、ナイジェリア人や、パレスチナ人や、
レバノン人や、コートジボワール人や、ブルキナファソ人にはなってみようとしない。”
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誰がハッピーな投稿をしようが、
深刻な投稿をしようが個人の自由。
だけど、同じ人が、国によって別の行動をする。
地理的に近いとか、個人的に家族がいるからとかならわかるんだけど、
もう、その国が、どれだけ「クール」とされているか、
あるいはどれだけ「先進国か」で、
露骨に態度が変わること。
例えば、パリについてはおおっぴらに祈り、顔写真を加工し、
それが「意識高い」「クールな」行動で、
トルコやシリアについては、そうはならないということが。
どの国も、ほとんどの場合いったこともないってのは同じなのに、
10人が死んで大事件で祈ってサポートしなきゃいけない国と、
1000人が死んでも、
コンビニで新しいおにぎりが出たぐらいの感慨しか抱かない国がある。
そういう違いがあるということ、
そういう違いを作る何かがあるということが、
僕にとっては悲しい。
眠れないなぁ。。。