愛って、電気みたいなものじゃないかと、思ってみたりして。
世界最強の自己啓発書のひとつ、「七つの習慣 」には
愛とは動詞である(多分love is a verbe)って言う言葉がある。
憧れの女性の1人、尾崎理恵さん のモットーは、
「愛することは行動すること」だった。
多分聖書か、キリスト教神学から来た考えじゃないかな?
愛ってのは、つまり行動だっていうことなんだけど。
そしてそれはとても美しいと思うし、心に刻みたいし、
真実だと思うし、かっこいいと思うんだけど・・・
なんとなく、肉食的過ぎる気がして、ちょっと疲れる。
俺はどっちかというと野菜好きだし、日本人だし。
そもそも、日本語だと、動詞なのかどうか、怪しかったりするし。
ま、そんなことを前から、時々思ってたんだけど・・・
愛って、なんとなく、プロセスなのかなと思った。
プロセスというか、状態というか、
動きのあり方と言うのかな・・・
愛というものはないけど、愛と言う働きがある
なんとなく、そんなものかなと思ったりして。
例えば、電気って存在するのかといえば、存在しない感じだよね。
(電子があるとか、ちょっと難しい話はこの際、やめにして、比喩的にね)
何かが繋がったり、電位差ができたときに生ずる、みたいな、
なんだかお化けみたいなもんだよね。
とりあえず、愛と言う固体は存在しない。
愛と言う固まった場所も存在しない。
愛と言う、関係性もないのかもしれない。
愛と言う・・・なんというのかな、「終着点」のようなものはない。
だけど、愛と呼べる何かを感じているという状態は起りえて、
愛と呼べる何かをもとに行動しているという状態は起りえて、
ある行動が愛と呼べるものであるという事態も起りえて。
そしてそれが起ると、時に変化を呼び起こす。
たまには、びっくりするぐらい大きな変化を。
愛されていると感じていると言える状態は存在していて、
愛を受け取っていると表現できる状態は存在していて、
相手の愛にこたえているという状態も起りえて。
そしてそれが起ると、その「通電期間」中、
ものすごいことが起ったりする。
そして意志や知恵によって、
うまくいけば、その通電期間を死ぬまで続けられることもある。
なんとなく、そんなものなのかなと思ったりして。
をを、電池に充電するみたいに、
愛をこめるって言うことは、できるみたいだな。
それにしてもやっぱり、それは動きをおこして、
放電までの間、それを何かに託している状態だよね。
プレゼントにこめるなら、そのプレゼントを見つけるために要した時間とか
何を送るか悩んだ時間とか、そのプレゼントを作るための時間とか。
そういった動きがまず最初にあって、それが物にこもるんだもんなぁ。
そしてまた、だから、愛を探すって行動は成立しないんだなと。
愛は実体をもった存在ではないから。
たぶん愛のもとになる粒子は僕達の心と身体の中に、
多分結構いっぱい詰まっていて、
これを自分でどう動かすか
あるいは、すでに流れ込んできているものをうまく検出できるかが
大切なことだったりするんだろうなぁ。
(ここはちょっと電気とは違うのかな)
そういえば、愛ってのはエネルギーだって言っている偉い人たちが
今も昔も、随分いたような気がする。
ただの言葉遊びといってしまえば、それまでなんだけど、ね。
とりあえず自分としては少し納得感があって、
他の人と同じことを言っていたとしても、
自分なりの腹落ち感があって、
ちょっと気持ちいい。
そういえば、一目ぼれは「ビビッと来た」っていうし、
芸能人は「電撃入籍」って言うし、
電気の世界でも、絶縁体の典型はゴムだよなぁ。わはは
苫米地さんあたりだと、何て言うんだろうなぁ。情報状態?
あの人は本物だと思うし、結構好きだけど、
少しだけ詩的でウェットな世界は残しておきたいなぁ。
随分長い間入ってたから、脱水気味。
さぁ湯たんぽを用意して、寝よう!
明日はブレスワーク だ。